🌺常設展示室―国立西洋美術館🌺
11月の平日の午前中、モネ展を見るため、上野の国立西洋美術館を訪れました。
ところが、あまりにも人が多すぎて作品を充分に見られなかったため、今回は、企画展のあとに見た常設展について書きたいと思います。
因みに、企画展のチケットをお持ちの方は、常設展を当日に限り無料で見られます。
企画展のあとに、‘’カフェ&ミュージアム・ショップへ行く派‘’対‘’常設展を見る派‘’の割合が3対2ぐらいだったようで(注:私の主観です)、常設展のほうは、1つ1つの作品をじっくり鑑賞することができ、嬉しい出会いもありました。
全作品について語ると、日が暮れますので、そこで出会った、いくつかの気になる作品について書きたいと思います。
ヨハネス・フェルメール 「聖女プラクセデス」
1655年
はじめてのフェルメール!!
この作品は、フィレンツェの画家フィケレッリの作品をフェルメールが模写したものといわれています。
その根拠は、聖女の袖に使われている白が、フェルメールの初期作品に多く使用されている色だからだそうです(解説パネルより)。
プラクセデスは、姉とともに、キリスト教殉教者の救護をしたことで讃えられた、紀元後2世紀の女性です。
この作品は、プラクセデスが、亡くなった人の肉をしぼって血液がしたたり落ちているところを描いていて、プラクセデスの左奥に殉教者、右奥に姉の聖女プデンティアナがいます。
以前に本で見た、この作品の図版より本物の方が、奥の殉教者のけがの生々しさと、聖女の優しい表情が際立っています。したたり落ちている血液の量がなかなかに多くて、少しショッキングでした。
アンゲリカ・カウフマン「パリスを戦場へと誘うヘクトール」
1770年代
🌹エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ・ルブラン(長いので、以後‘’ルイーズ‘’とさせていただきます)の偉大な先輩
常設展示室を見て回っているうちに、フラゴナールの作品と出会い、ロココの香りがしてきました。「もしや、ルイーズ作品があるのでは?」と淡い期待を抱いて注意深く作品1つ1つを見ていたところ、出会ったのが、カウフマンとカペの2人の女性画家の作品です。残念ながら、ルイーズ作品はありませんでした。
カウフマンは、1741年にスイスで生まれた、オーストリア新古典主義の、女性には珍しい歴史画家で、ルイーズより14歳年長です。画家の父から英才教育を受け、12歳で肖像画を制作し、13歳から24歳までイタリアで生活し、語学に堪能でした。そして、イギリスでロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの創立メンバーに連なりました。1807年にローマで死去したときは、壮大な葬儀が行われました。
ルイーズの『回想録』によると、ローマにいたとき、ルイーズの方からカウフマンを訪問しましたが、この2人の関係は、打ち解けた友情には発展しなかったようです。
しかし、オペラ『カエサルの死』の初演に一緒に行ったり、教皇庁のフランス大使ベルニス枢機卿の正餐に2人とも招かれ、枢機卿の左右に席を与えられたりなどの交流はあったようです。
ルイーズから見たカウフマンは、同性の高名な先輩といったところだったのではないでしょうか。
マリー=ガブリエル・カペ 「自画像」
1783年頃
カペは、1761年、南仏リヨンに生まれ、パリで活躍したフランスの女性画家です。本作は、画家が22歳のときの自画像です。デッサン用のチョークホルダーを片手に、画架の前に立ち、こちらを見つめています。
18世紀後半は、職業画家として成功した女性画家を多数輩出しました。ルイーズやカペも含まれます。カペは、サロンに参加した最初の女性画家の1人となり、肖像画の名手として高い評価を得ました(展示室解説パネル参考)。
ルイーズは、年齢的に、カウフマンとカペの間に位置するため、「もしかして展示されているかも」と一瞬期待しましたが、残念ながら、ありませんでした。
アンリ・ファンタン=ラトゥール 「花と果物、ワイン容れのある静物」
1865年
1年ぶりの再会!
この作品とは、2023年秋にSOMPO美術館の企画展「ゴッホと静物画―伝統から革新へ」で出会いました。
右下のカボチャが印象に残っていたので、気が付きました。
優等生の友人に再会できたような感覚です
あとで、パステルで模写の練習をしようと思って、カボチャの部分をアップで撮影しました。
ポール・シニャック 「サン=トロペの港」
1901~1902年
また会えた、お気に入りの1枚!
この作品は、以前に国立西洋美術館の企画展ではじめて見てとても気に入り、ミュージアム・ショップで額絵を購入して、自室に飾り、毎日眺めている絵です。
シニャックは、スーラと並んで、新印象主義を代表する重要な画家であり、マティスにも大きな影響を与えたことは、今年の春に国立新美術館の「マティス 自由なフォルム」展を見に行ったあと、マティスについて調べていて、学びました。
「サン=トロペの港」のサイズは、タテ131センチ×ヨコ161.5センチと大きく、これほどのサイズの作品を「本当に全部‘’点‘’で描いているのかな?」と思って、できるだけ作品に寄って見てみましたが、本当に全部‘’点‘’で描かれていました。
点描の効果で画面が明るく、南仏の太陽が港の水面に反射してキラキラと輝くさまを表現するのに、点描は最適な表現方法だと思われます。
私は残念ながら、南仏に行ったことはないのですが、以前にテレビで見た、同じ南仏のリヨンやマルセイユとこの作品の風景が似ていると感じました。
シニャックは、ヨットを多数所有し、ヨットで旅している途中、サン=トロペを発見したそうです。
この絵を見ていると、南仏の海で、颯爽とヨットを操船し、絵を描いている素敵なシニャックの姿が目に浮かんでくるようです。
ヴィルヘルム・ハマスホイ 「ピアノを弾く妻イーダのいる室内」
1910年
謎めいた雰囲気の作品~誰かいる?
ハマスホイは、デンマーク出身の画家です。フェルメールと同様、ハマスホイ作品も、今回はじめて実物を見る機会に恵まれました。
全体にモノトーンであることや、女性が後ろ姿で顔が見えないのと、見えていない部分に何者かがいそうな気配により、作品に謎めいた要素が与えられていると思います。
フランク・ウィリアム・ブラングィン 「松方幸次郎の肖像」
1916年
もっとも会いたかった作品!!
以前から、どうしても見てみたいと思っていた作品です。
絵を見たというよりも、松方さんご本人にお会いしたかのように感じました。
ブラングィンは、ロイヤル・アカデミーの会員で、絵画を中心に、彫刻・工芸・版画・宣伝美術・家具デザイン・建築・内装設計など、幅広い創作活動を行った芸術家であり、イギリスだけでなく、アメリカやフランスでも人気があったそうです。
原田マハさんの小説『美しき愚かものたちのタブロー』には、川崎造船所の社長であった松方幸次郎さんが、ロンドンのブラングィンのアトリエを訪問し、すぐに意気投合して、ブラングィンが1時間で松方さんの肖像画を描き上げた様子が描かれています。
カンヴァスの裏面に「1時間で描く」と実際に書かれているそうです。
この絵の中の松方さんは、肘掛け椅子に腰掛け、パイプをふかし、画家の方ではなく、画面の外にまっすぐ視線を向けています。
松方さんは、自分のコレクションのためではなく、日本の若い人たちが日本で西洋美術を見られるよう、西洋美術専門の美術館を日本に創ろうとしていました。ブラングィンには、松方さんは、目の前のものではなく、新しい時代を見ているように感じられ、それを作品に表現したのではないかと思います。
私は、『美しき愚かものたちのタブロー』を読んで感動し、松方さんのお人柄が伝わってくるであろう肖像画に「いつかどうしても会いたい」と思っていて、まさかこんなに早く願いが叶うとは思っていませんでした。
また、松方コレクションの最初の1枚となった、もう1枚のブラングィンの作品、「造船」は、残念ながら、今回は展示されていませんでした。次に国立西洋美術館を訪れるときには、きっと会えるような気がします。
<カフェ&ミュージアム・ショップ>
企画展と常設展を見終わった後、‘’カフェすいれん‘’で企画展限定メニューをいただこうと呑気に考えていたら、想定以上の大行列で、あきらめるしかありませんでした。
企画展のミュージアム・ショップも、館外にまで大行列ができていて、あきらめました。あらかじめ美術館の公式ホームページでチェックして、あれとこれを買おうなどと計画を立てていたので、少し残念でした。
しかし、‘’救いの神‘’というか、常設展のミュージアム・ショップでも、企画展の図録と、いくつかのモネのグッズを扱ってくれていました。そのおかげで、美しい睡蓮の缶入りクッキーや、睡蓮柄テディベア・ボールチェーン・キーホルダーなどを購入することができました。
今回の国立西洋美術館訪問に関しては、混みすぎのため、企画展やカフェ、企画展のミュージアム・ショップなどについてここで詳しく書くことができず、残念でした。ただし、常設展示室では、数々の珠玉のコレクションを堪能することができ、素晴らしい体験をさせていただいたと思っています。
今までに訪問した常設展示室の中では、東京富士美術館、国立近代美術館と並んで素晴らしいと思っています。
今回会えなかったコレクションにも、また会いに行きたいです。
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