ゴッホのひまわり_「これこそ…花だ」_SOMPO美術館

博物館

10月の上旬、東京都美術館の「ゴッホ展」を見に行った翌週に、東京都新宿区にあるSOMPO美術館の『ひまわり』に初めて会いに行ってきました。

今回、『ひまわり』に会えたので、『ひまわり』の連作についてお話ししたいと思います。

ゴッホについて

≪フィンセント・ファン・ゴッホ(1853年~1890年)≫
オランダ生まれの画家。
マネ、モネなどに代表される印象派ののちに現れたポスト印象派の画家で、他の追随を見ない、その触覚的な筆致と激しい色彩は、表現主義を準備したとも後世に評価される。

オランダ南部の町ズンデルトに、牧師の父テオドルスと母アンナの長男として生まれる。
幼少期より気性が荒く気難しかったが、周囲に芸術的才能の片鱗を見せることもあった。

1869年に伯父の関係先である、パリの画商グーピル商会のオランダ・ハーグ店に入社
ロンドンなど各支店で働いたのち、画家になる希望を秘めながら、父と同じ伝道の道に転じるも、挫折。

1880年前後から絵画の制作に救いを求め、次第にその道に没頭していく。
他方、弟テオもグーピル商会で、画商としての確かな地位を築き、兄の画業をサポートし続ける。

1886年、パリで働くテオを訪ね、2年間に渡る、兄弟での同居生活がはじまる。
この期間に、テオのもとに集う画家、エミール・ベルナール、アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックたちと交流を深め、ポール・ゴーガンとも知り合う。
同じ頃、日本から輸入された浮世絵版画を目にし、強く影響を受ける。

都会の生活に消耗し、1888年、南仏・アルルに移動
しばらくしてゴーガンとの共同生活がはじまり、この生活は同年末に自らの耳を切り落とす事件を起こすまで続いた。

サン=レミでの闘病生活を経て、1890年、カミーユ・ピサロのすすめで、パリ近郊のオーヴェール=シュル=オワーズで暮らしはじめる
同地には、芸術に造詣が深く、セザンヌたち印象派とも親しかったポール・ガシェ医師がおり、主治医となった。
同年7月27日、拳銃自殺を図り、29日に死去。享年37歳。

なぜ、ゴッホは南仏・アルルに行ったのか?

ゴッホは、1885年の32歳の頃から、日本の浮世絵に興味を持ちはじめました。

ゴッホは、日本の画家は、お互いの作品を交換し合って、親しく交流していたと考えたようです
そこで、ゴッホは、自画像をゴーガンに贈り、ゴーガンは、ベルナールの肖像画が背景にある自画像をゴッホに贈りました。

また、ゴッホは、日本の画家たちは、互いに悪意の無い、兄弟愛に満ちた生活を営んでいたと考え、感心していたようです

ゴッホは、1886年の33歳のときから2年間、パリで弟のテオと同居していました。
もしかすると、都会での生活に疲れたことと、まわりの人々の悪意も感じたのかもしれません

明るい南仏・アルルは、ゴッホの中の日本のイメージだったようです

ゴッホは、アルルで、画家の共同体=ユートピアを作ろうとしました。

メイ
メイ

これが、ゴッホが南仏・アルルを目指した理由です。

なぜ、ゴッホはひまわりの絵を展示しようとしたのでしょうか?

ゴッホは、画家仲間に、アルルで、共に生活して創作活動をしようと声を掛けました
ベルナールやロートレックとも親しかったし、弟のテオを通して印象派の画家たちとも交流があったので、おそらくそれらの人たちにも声を掛けたのでしょう。

その中で唯一、アルルに来てくれたのがゴーガンでした。

ゴーガンは当時、金銭的に逼迫していて、テオに自分の作品を売ってもらえるよう、頼んでみてほしいとゴッホに手紙を書いています。

そこでゴッホは、ゴーガンがアルルに来て、自分と一緒に暮らして制作し、テオに生活費を払ってもらう代わりに、作品をテオに渡すという計画を提案します。

ゴーガンは、最初は乗り気でなかったようですが、とにかくお金がないので、ゴッホの提案を受け入れることにしたようです。

ゴッホは、ラマルティーヌ広場に面した黄色い家を借り、12脚の椅子を購入し、部屋の壁を絵で飾りました。
自分用の椅子は、座面が籐製の質素な椅子であるのに対し、ゴーガン用に用意した椅子は、肘掛け付きの立派な椅子であるところからも、ゴッホがゴーガンの到着を楽しみにしていた様子が伝わってきます。

 前置きが長くなりましたが、次に、ひまわりについてです。

ゴッホは、アルルに向かう前年の1887年11月に、クリシー街のレストラン、デュ・シャレで、自ら企画した展覧会を開きました。

この展覧会には、ベルナールやアンクタンらが参加し、ゴッホは風景画や『ひまわり』の静物画などを出品しました。
この展覧会を訪れたゴーガンが、『ひまわり』を気に入り、『ひまわり』2点と自らの作品1点を交換しました。

メイ
メイ

そうしたいきさつもあり、アトリエをゴーガンの好きな

『ひまわり』の絵で飾ろうと考えたようです。

『ひまわり』の連作の特徴と魅力について

 

 

 

表の花の数は、ゴッホが手紙に書いた本数で、必ずしも実際の作品の本数とは一致しません。

次に、一つ一つ見ていきます。

1 アメリカの個人蔵の作品

1888年制作 油彩・カンヴァス 73×58センチ

『ひまわり』連作の中で、最もみずみずしい作品です。
ゴッホは、パリ時代から青と黄のコントラストを研究していて、アルルにおいて更に推し進めました。
この作品は、花瓶が光を反射して、他の6作品と比べ存在感があることと、背景がとても美しいターコイズ・ブルーであることが特徴です。
7作品中、最も明るく爽やかな印象を受けます。
ゴーガンが来てくれることになって、気分が上がっていることが伝わってくるような感じがします。
個人で所蔵されているとは、なんとも羨ましい!!

2 旧山本コレクション

1888年制作 油彩・カンヴァス 98×69センチ

ロイヤル・ブルーの背景のため、『ひまわり』連作中、最も個性的な作品です。

1の作品のイメージが朝だとすると、こちらは日没近くのイメージがあります。
花瓶に3つの花がさしてあり、そのほかに、花弁が落ちて種だけになったものと、つぼみがそれぞれ1つあります。花弁や花瓶は、背景のブルーと補色のオレンジや黄色の線で輪郭づけられていて、ゴッホ本人は、“後光を帯びている”と表現しています。
作品全体は、オレンジで塗られた細い木の枠で囲んであります。
雑誌『白樺』がゴッホ作品購入のために寄付金を募集して失敗し、実業家の山本顧弥太氏が購入しました。
1921年に、京橋の星製薬会場での白樺美術館第1回展で、セザンヌ作品と並んで展示されましたが、1945年、芦屋で空襲のため、焼失しました。そのいきさつを知って見ると、深いブルーを背景に、花が悲しげに見えます。

3 ノイエ・ピナコテーク(ミュンヘン)所蔵作品

1888年制作 油彩・カンヴァス 92×73センチ

こちらも、1と同じターコイズ・ブルーの背景ですが、花瓶の光沢と花の重さ、立体感は、1の方が強調されています。初めて、花瓶に「Vincent」のサインが入っています。

花とつぼみを合わせて12輪で、濃淡の黄色の花がターコイズ・ブル
ーの背景に浮かび上がる配色になっています。
初めてサインが入っているということは、ここまでの3点中、一番満足できる仕上がりということでしょうか。

 

4ナショナル・ギャラリー(ロンドン)所蔵作品

1888年制作 油彩・カンヴァス 92.1×73センチ

最も有名な『ひまわり』です。

ここまでで初めて、背景を黄色で描いています。
青の背景だと黄色の花が浮かび上がるようですが、黄色の背景に黄色の花だと、更に色が映えて美しいです。

背景は、上と下が4対1ぐらいで二分され、上はレモンイエロー、下は濃い黄色、花瓶は上半分が濃い黄色で下半分がレモンイエローと、逆転しています。
花は、中央上3つと下3つ、一番右1つが球形のようなタイプであり、周囲に花弁の大きいタイプの花が広がり、緑の茎とガクが、全体の黄色にところどころアクセントを添えています。

こちらも、花瓶にサインが入っています。昨年(2020年)、国立西洋美術館の
「ナショナル・ギャラリー展」において展示されました。

5 SOMPO美術館所蔵作品

1888年制作 油彩・カンヴァス 100.5×76.5センチ

4まででひまわりのシーズンが終了したので、この作品は10月以降に、4を元に描いたとされています。
そのため、構図はほとんど同じです。
花の色は4のほうが黒みがかっていて、5のほうは明るいです。
背景は、4は明るいレモンイエローで、5は黄緑に近い黄色であり、5のほうが全体に明るい印象を受けます。

 この作品を実際に見ることができました。

第一印象は、想像していたよりもかなり大きいということでした。

また、照明と、やや暗めのボルドーのような上品な色の額縁の効果により、ゴッホの黄色の強さがやや和らげられて、ひまわりの花が神々しく見え、信仰のシンボルのように感じました。

私の目に神々しく映ったのは、ひまわりには、ゴッホにとって愛おしく大切なものがすべてこめられていたからであり、また、感謝の象徴だったからかもしれません。

この絵の花瓶にはサインがありません。6と7にはサインがあります。
以前に、ゴッホが、気に入った作品にだけサインを入れたと聞いたことがあるのですが、6と7に比べて5が劣っているということはまったくなく、むしろ、6と7を描いたときは、“事件後”で疲れ切っているように見えるので、気に入った作品にだけサインを入れたというわけではないと思います。

6 フィラデルフィア美術館所蔵作品

1889年制作 油彩・カンヴァス 92.4×71.1センチ

ゴーガンが『ひまわり』を欲しがったので、敬意を表して描いたものが6と7です。
ゴッホが、ゴーガンとの激しい口論の末、1888年の12月24日に“事件”を起こして入院し、翌年1月の退院後に3を元に描いたのが、この作品です。
3が元になっているので、構図はほとんど同じですが、退院後でまだ心身ともにダメージが残っているのか、元の作品に比べるとだいぶ輝きが衰えて、筆致も弱々しく感じられます。

 

7 ファン・ゴッホ美術館(アムステルダム)所蔵作品

1889年制作 油彩・カンヴァス 95×73センチ

4を元に描かれた作品です。ところどころ筆致に疲れは見えるものの、6の作品よりは輝きを取り戻しつつあるように見えます。

背景が黄色の先の2作品と比較すると、かなり違っていることがわかります。
ゴーガンの到着を楽しみにして気分が上がっていたときと、ショッキングな“事件”のあとの精神状態の差がそのまま作品に反映されているのかもしれません。

 

さいごに…
ここまで7つの『ひまわり』の連作を見てきて、ゴッホにとってひまわりとは何だろうか?と考えました。ゴーガンは、“ひまわりの花”ではなく、ゴッホが描いた『ひまわり』をとても気に入り、「これこそ…花だ」と言ったそうです。
そして、背景が黄色の『ひまわり』を欲しがったそうです。
しかしゴッホは、ゴーガンに『ひまわり』を贈ることをためらい、弟テオの家に飾られることを望みました。テオは、ゴッホにとって一番大切な人です。
その大切な人に持っていてほしいものとは何だろうか?と考えると、つまり、ひまわりとは
ゴッホの“心”なのではないかと思いました。
あくまでも、私個人の考えです。
作品を見る人によって、解釈は違ってくるのではないでしょうか。

 

 

SOMPO美術館 ミュージアム・ショップコーナー
帰りにミュージアム・ショップを覗いてみたら、『ひまわり』とのコラボグッズがいろいろありました。
『ひまわり』の額絵は、大・小2種類あり、どちらもやや高額でした。
他に、『ひまわり』のセラミック・アート・プレートがあり、こちらは比較的安価ですが、
陶板風で美しいです。
その他には、絵葉書、ポストカード・アルバム、マグネット、キーホルダー、エコバッグ、『ひまわり』の絵柄の缶入りクッキーなどがありました。
ポストカード・アルバムは、クリアファイル形式ではなく、蛇腹式になっています。
有料の紙袋も、『ひまわり』がプリントされていて、かわいいです。

館内は、どこも清潔で、案内表示のサインもわかりやすく、スタッフのかたも親
切で、快適に見て回ることができました。

*掲載した写真は、無料使用可の、パブリックドメインのものです。

 

 

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