【はじめに】エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブランとは
エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン(1755年~1842年)は、フランス国王ルイ16世の王妃マリー・アントワネットに寵愛(ちょうあい)され、アカデミー 会員になった女性画家です。
彼女の描く優雅な肖像画は人気が高く、フランス革命勃発後も、各地の宮廷で歓迎され、肖像画を描き続けました。
生涯に、肖像画を660点以上(模写を含む)、風景画を約200点残しました。
*名前が長いため、以後、‘’ルイーズ‘’ とさせていただきます。
私がルイーズに興味をもったきっかけは、『別冊太陽 ロンドン・ナショナル・ギャラリー 名画でひもとく西洋美術史』(2020年、平凡社)に掲載されている、ルイーズ作「麦わら帽子の自画像」を目にしたことです。
『別冊太陽』には、「本作は1782年に描いた自画像の自筆レプリカで、ルーベンスの作品
を霊感源に、自身を絵画芸術の擬人像として表した。
「ギリシャ風の簡素な衣装に、ダチョウの羽根と野の花をあしらった麦わら帽子、髪は当時流行のかつらや髪粉もつけていない地毛である。」と記載されています。
そのような予備知識がなくても、「なんて美しい人なんだろう。それに、表情が優しそう。頬が
薔薇色で健康的!」と、とてもひきつけられました。
以前にも、美術史の本でこの作品を目にしたことはあったのですが、写真が小さかったため、魅力に気づくことができませんでした。
『別冊太陽』では、1ページ分使って大きく掲載してくださっているので、魅力を感じることができました。
もしもロンドン・ナショナル・ギャラリーで本物に出会えたなら、きっと比較にならないぐらい感動するのではないかと思います。
ルイーズの生涯
幼少期~画家として活躍しはじめた時期
パリのコキリェール街で、画家の父、結髪師で美人の母との間に生まれる。
3年後に、弟エティエンヌが生まれる。父の死後、王立アカデミー会員のガブリエル・ブリアール、フランソワ・ガブリエル・ドワイヤンに絵を習う。15歳ごろまでに、本格的に肖像画を描くようになり、家計を支えた。母が、宝石店主ジャック・フランソワ・ル・セーヴルと再婚。義父がパリの社交界に人脈をもっていたため、ルイーズが肖像画家として上流社会に迎えられるのに役立った。
・1776年1月11日
ルイーズは、画商ジャン・バティスト・ピエール・ルブランと結婚。
・1783年
女性画家ラビーユ・ギアールとともに、王立アカデミーの会員に選出された。
マリー・アントワネットの宮廷画家として
ヴェルサイユ宮殿に呼ばれ、ほかの画家が描いた王妃の肖像画の模写を制作する。
再び呼ばれ、王妃の公式の肖像画を手掛けることになる。
オーストリア宮廷に送るための王妃の肖像画を制作する。
ちょっと寄り道
≪王妃との心温まるエピソード≫
あるとき、妊娠中のルイーズは、悪阻のため、約束の日時にヴェルサイユ宮殿に行けませんでした。
翌日、お詫びに伺い、謝罪してすぐに帰ろうとしたところ、王妃が、「いいえ、帰らないで。無駄足を踏ませたくありませんから。」と言って、ルイーズの前に座りました。
ルイーズは王妃の優しさに感動し、筆箱に入っていたブラシや鉛筆をうっかり床に落としてしまいました。
慌てて拾おうとすると、王妃がルイーズの体を気遣い、拾い集めてくれました。
このときのエピソードが『ベルサイユのばら』2巻に描かれています。
・1783年
「シミーズ・ドレス姿のマリー・アントワネット王妃」と同じ年に、同じ構図の「薔薇を持つマリー・アントワネット王妃」を制作。
王妃はこの作品を気に入り、模写を3点制作させる。
ルイーズが手掛けた30点ほどの王妃の肖像画は、「シミーズ・ドレス姿のマリー・アントワネット王妃」、「薔薇を持つマリー・アントワネット王妃」、「書を読むマリー・アントワネット王妃」、「マリー・アントワネット王妃と子どもたち」の4点が元になっている。
ルイーズは、ルイ16世とその弟のアルトワ伯爵(のちのシャルル10世)以外の王室全員の肖像画を手掛ける。
ヨーロッパ放浪
・1789年7月
フランス革命勃発王妃と仲の良かったルイーズも、身の危険を感じるようになる。
・1789年10月6日
農婦に扮し、娘と娘の家庭教師を伴い、パリを脱出。
以後、イタリア→オーストリア→ロシアと、各地を放浪。
肖像画家としての名声が国外にも届いていたため、各地で歓迎され、宮廷で肖像画を依頼される。
ナポリ滞在中には、王室の肖像画の依頼を受けて宮殿に上がるときに、陽射しから目を守るために緑色のヴェールを頭からかぶって歩いていたら、ナポリに滞在する外国人女性の間でヴェールが流行。
しかし、優しかったフランス国王一家の身の上を思ってのことなのか、パリに残した母親を心配してか、安眠できない日々が続く。
パリ帰還
12年ぶりにパリへ帰郷する。
ふたたび寄り道
≪ヴェルサイユにて大ピンチ!≫
ルイーズがヴェルサイユで彫刻を鑑賞していたとき、午後4時ごろ、守衛が誤ってすべてのドアに鍵をかけたため、閉じ込められてしまったそうです。
大声で泣いても誰も気付いてくれず、ようやく小さな扉を見つけて叩いたところ、誰かが気付いて開けてくれ、出られたそうです。
美術館や博物館の展示室の扉は、作品保護の観点から頑丈に作られており、また、外気や生物の侵入を防ぐため、二重になっている場合もあります。
そのため、間違えて閉じ込められてしまうと、気付いてもらいにくく、ルイーズのように危険なことに!
閉館時間直前の訪問は、なるべく避けたほうがよいでしょう。
ロンドンへ
・1802年
ロンドンへ 皇太子ジョージの肖像画を描いたことで、イギリスの画家たちの反感と嫉妬を買うことに。
しかし、イギリスに4~5か月滞在の予定が2年以上になり、2年の間に38点あまりの肖像画を制作。
パリへ
・1805年7月
パリに戻る。ナポレオンの妹ミュラ夫人カロリーヌの肖像画を制作。
スイスへ
・1807年9月 スイスへ。
作家スタール夫人の肖像画を制作する。
この後、肉親を相次いで失う。
・1813年 夫ルブラン病没。
・1819年 娘ジュリーが39歳で病没。
・1820年 弟エティエンヌ病没。
夫や娘とはあまりうまくいっていなかったようですが、弟とは生涯、
関係が良好だったようです。
最後の旅そして死
ボルドーへ最後の旅をする。
79歳~80歳にかけて、書簡体の「回想録」を書き、人気になる。
・1842年3月30日 夕方5時 86歳で永遠の眠りにつく。
人生の締めくくりの言葉
「放浪しながら心静かに、懸命に働きながら高潔な心を失わずに生きた」
墓碑銘がカッコいい!
‘’Ici,enfin,je repose…‘’ 「私はようやくここに休む」
代表作の紹介
「自画像―チェリー色の赤いリボン」
1781年 フォートワース アメリカ キンベル美術館
現存する自画像のなかでも、とくに若々しさが感じられる作品。
黒い羽根飾りの付いた黒い帽子、フリル付きの白いブラウス、黒のショールを身に付け、少し斜めに顔を鑑賞者に向けています。
全体的にモノトーンのなか、タイトルの赤いリボンがアクセントになっています。
「ポリニャック公爵夫人」
1782年 ヴェルサイユ宮殿
当時最も美しいといわれた女性の肖像画。
マリー・アントワネット王妃に寵愛(ちょうあい)されたことで有名で、「ベルサイユのばら」にも、フランス国家の財政破綻の一因になった女性として描かれています。
噂どおりの大変な美人ですが、表情は、少し翳(かざし)があるようにも見えて、そこが王妃の心を捉えたのでは?という気もします。
ルイーズのお気に入り3点セットである麦わら帽子、シミーズドレス、黒のショールを身に付けています。
「麦わら帽子の自画像」
1782年 ロンドン・ナショナル・ギャラリー
ベルギーのブリュッセル滞在時に描いた作品。
1782年のサロンに出品され、高い評価を得ました。
今までに見たなかで、最も美しいと思う、女性の肖像画です。
「シミーズ・ドレス姿のマリー・アントワネット王妃」
1783年 個人蔵
普段着姿の王妃の肖像画です。
1783年のサロンに展示されました。
ルイーズは、王妃の親しみやすさを表現したかったのかもしれませんが、当時は、畏怖や敬愛の念を引き起こすのが王族の肖像画の特徴であったため、受け入れられにくかったようです。
展示中に、肖像画の下に「シミーズドレスをまとうほど落ちぶれたオーストリア女」と誰かに書かれてしまい、作品を引き上げました。
しかし、身体を拘束しない、軽いシミーズドレスは大流行しました。
「薔薇を持つマリー・アントワネット王妃」
1783年 ヴェルサイユ宮殿
「シミーズ・ドレス姿のマリー・アントワネット王妃」と同じ年に同じ構図で描かれた、王妃28歳の肖像画。
王妃はこの作品を気に入り、模写を3点制作させました。
「マリー・アントワネット王妃と子どもたち」
1787年 ヴェルサイユ宮殿
王妃と、3人の子どもたち(長女マリー・テレーズ、長男ルイ・ジョゼフ、次男ルイ・シャルル)の肖像画です。
ルイ・ジョゼフは、空のゆりかごを指さしています。
これは、次女で第四子のソフィーが1歳になる前に結核により死去したことを表わしています。
「自画像」
1790年 フィレンツェ ウフィツィ美術館
王妃の肖像画を制作中の自画像です。
髪が邪魔にならないようにキャップをかぶり、左手にパレットと数本の絵筆を持ち、右手に絵筆を1本持っています。
制作時の様子をうかがい知ることのできる、貴重な作品となっています。
「麦わら帽子の自画像」はエレガントな姿ですが、この作品は、生き生きと仕事をしている姿が描かれています。
制作中は、動きやすい、カジュアルな服装を好んだようです。
キャップをかぶっていることで、若々しく、かわいらしい魅力が見事に表現されていて、「麦わら帽子の自画像」と並んで好きな作品です。
ルイーズの絵の魅力と人柄
ルイーズは、モデルの魅力と個性を捉えて表現することが上手な画家でした。
王室御用達の画家なので保守的かと思いきや、新しいことに挑戦しました。
おもに次の4つの特徴がみられると思います。
1. 3点セット
麦わら帽子、シミーズドレス、ショールを取り入れたファッションを提案。
2. 笑顔の肖像画
当時は、歯を見せて笑うことははしたないこととされていましたが、あえて歯を見せる肖像画を描いて、モデルの自然な魅力を生き生きと表現しました。
3.モデルの個人的な側面を強調
王妃を、高貴な人としてより人間的な面を強調しました。
また、子どもたちと一緒の姿を描くことにより、愛情や母性を表現しました。
4.小物を丁寧に描く
ラファエロをお手本にし、クッションやアクセサリーなどの小物も丁寧に描きました。
ルイーズの人柄
ルイーズの画才、美貌、謙虚で温かい人柄は、パリの社交界だけでなく、亡命先のヨーロッパ各地の宮廷でも歓迎されました。
当時のヨーロッパの上流階級の人々にとって、高名な画家である、ルイーズに肖像画を描いてもらうことは、1つのステータスのように捉えられていた可能性があると思います。
ルイーズを嫌ったのは、ロシアの女帝、エカテリーナ二世の最後の愛人、ブラトン・ズボフぐらいだったようです。
その理由は、ほかの人と違って、ルイーズが彼に媚びなかったためです。
因みにルイーズは、エカテリーナ二世の2番目の愛人でポーランド王のスタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキの肖像画を描きました。
ルイーズの、肖像画の制作方法は、盛って描くというよりも、モデルと会話しながら、モデルが美しく見えるファッションや角度、表情などを見つけていき、魅力を引き出すように工夫して描いたようです。
そのため、放浪先でも、肖像画の注文が続出したのだと思います。
制作方法にも、彼女の優しい人柄が感じられます。
とくに、マリー・アントワネット王妃の肖像画に関しては、優雅さと高貴さが完璧に調和している美しさを伝えることに努めたようです。
参考資料
・『マリー・アントワネットの宮廷画家 ルイーズ・ヴィジェ=ルブランの
生涯』2011年 石井 美樹子 河出書房新社
・『別冊太陽 ロンドン・ナショナル・ギャラリー 名画でひもとく西洋美
術史』2020年 平凡社
・『ベルサイユのばら』1~9巻 1972~1974年 池田 理代子 集英社
・『女帝エカテリーナ』1~4巻 2014年 池田 理代子 講談社
*掲載した写真は、「自画像」(1790年 ウフィツィ美術館蔵)のみ自前のポスターの写真、その他はすべて、無料使用可能のパブリック・ドメインのものです。
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