高崎市美術館

博物館

版画にみる印象派 <陽のあたる午後、天使の指がそっと>

はじめに

先日、高崎市美術館へ、「版画にみる印象派」展を見に行ってきました。高崎市美術館は、JR高崎駅西口から徒歩約3分の、飲食店が集まっている場所にある、グレーの要塞風の3階建ての建物です。西洋絵画や現代アートなど、さまざまな企画展を行っています。

「印象派」というと、ほとんどの方は油彩画が浮かぶと思います。
しかし、印象派の本来の名称は、「画家・版画家・彫刻家などの合資会社」というものであり、印象派の作家は、版画を油彩画同様に重要な表現手段の一つと考えていたようです。(「版画にみる印象派」展図録より)

企画展を見に行く前は、‘’版画=地味‘’というイメージがあったのですが、実際に作品を見てみると、色彩豊かな油彩画とはまた違った、優しくて繊細な表現がされた作品を見ることができました。
また、ゴッホの作品を通して名前を知って気になっていたドービニーや、群馬ではなかなか会えないセザンヌの作品にも会うことができました。

メイ
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ここからは、私なりにステキだと思った、または気になった作品や画家を紹介したいと思います。

シャルル=フランソワ・ドービニー(1817年~1878年)

バルビゾン派に近い風景画家で、印象派の先駆者。
17歳のとき、6か月間、イタリアに留学し、帰国後、版画制作をはじめ、サロンにエッチングを出品しました。
 1850年代頃より評価が上がって、多くの作品が国家買い上げとなりました。
 水辺の風景を好み、1857年にはアトリエ船「ボタン号」を作り、川辺の自然風景を描きました。 モネやシスレーと親交があり、印象派の画家たちから崇拝されました。
また、サロンの審査員として、新しい風景画の流れを擁護しながら先導していく立場をとりました。

メイ
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私がはじめてドービニーの名前を知ったのは、ゴッホの「ドービニーの庭」という作品を通してです。

この作品は、オーヴェールのドービニーの邸宅と庭園を描いた作品で、スイスにある第一作と、ひろしま美術館の第二作があります。
ゴッホが最後に描いた可能性のある数点の作品のうちの一つといわれていて、重要な作品であるといえます。
それだけに、ゴッホにとってドービニーは重要な存在であり、ゴッホ自身が、ドービニーを敬愛する画家の一人に挙げています。

 今回の企画展では、ドービニーの、水辺の風景画を中心に、7点の版画作品が展示されていました。

カミーユ・ピサロ(1830年~1903年)

印象派最年長の画家でありながら、とても柔軟で謙虚な画家でした。
自分よりかなり若いスーラの点描の技法を取り入れたり、モネの影響でモンマルトル大通りの‘’連作‘’を制作したりしました。
また、セザンヌと一緒に制作を行い、セザンヌとは互いに尊敬し合う間柄でした。

 1874年の第1回印象派展から主要メンバーとなり、全8回の印象派展にすべて出品したただ一人の画家となりました。

 ピサロは印象派の中でも最も版画に関心を抱き、エッチング、ドライポイント、アクアティントなどの銅版画は131点にのぼります。
とくに田園風景を好んで制作したようです。
版画作品だけでなく、セザンヌと一緒に写った、貴重な写真も展示されていました。

 

メイ
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画家の顔がわかると、より一層、画家に対しても、作品に対しても、親しみを感じます。

*作品紹介*
「鶏に餌をやる女」(1895年、木版)
 原画はカミーユ・ピサロの作品で木版制作は息子のリュシアン・ピサロ。親子の共同制作です。

エドゥアール・マネ(1832年~1883年)

 

 

 

 

パリの裕福な家庭に育った、革新的な画家です。
「草上の昼食」「オランピア」によって美術史上名高いスキャンダルを起こしました。この結果、革新的な芸術家や文学者たちの支持を得て、リーダー的存在となりました。

 1874年の第1回印象派展に出品を依頼されるも、一度も参加することはありませんでした。

 1882年、「フォリー=ベルジェールのバー」がサロンで大成功を収めましたが。翌1883年、51歳で死去しました。

 マネの版画作品は、エッチング75点、リトグラフ25点からなります。

 

メイ
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マネの版画作品を今回初めて見たのですが、油彩画よりも素朴でわかりやすく、魅力的に感じました。

*作品紹介*
 「帽子をかぶったボードレールの横顔Ι」(1862年~1865年頃、エッチング)

 マネは詩人ボードレール(1821年~1867年)とは、おそくとも1859年には知り合っており、二人の友情は、ボードレールが他界した1867年まで続きました。

 この作品は、帽子を被った肖像画で、街をそぞろ歩く「遊歩者」としてのボードレール像です。シルクハットを被り、首にマフラーかストールのような物を巻いています。
知的ではありますが、近寄りがたい感じではなく、柔らかさを感じます。

メイ
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友人の肖像なので、親しみのこもった感じに仕上がったのだと思います。

「猫と花」(1869年、エッチング、アクアティント)

 作品に犬や猫が登場するとほっこりします。
この作品では、バルコニー(?)の手すりの手前に、大きな猫と花いっぱいの植木鉢が見えます。
猫の頭は画面中央やや上に描かれています。

 この絵は、シャンフルーリの著書『猫』(パリ、1869年)の1870年に刊行された豪華版に挿入される、オリジナル版画として制作されました。

「ポリシネル」(1874年、カラー・リトグラフ)

 マネ唯一のカラー・リトグラフ作品です。
ポリシネルとは、フランスの操り人形芝居などに登場するキャラクターで、鉤鼻、背中のこぶ、ふくれた腹、三角帽子、こん棒、奇抜な衣装などの特徴を持っています。
この作品の制作と同時期に、マネは油彩や水彩でもこのキャラクターを描きました。

 

メイ
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政治的な皮肉がこめられているということですが、予備知識がなくても、美しい色彩のリトグラフとして充分に楽しめます。

ポール・セザンヌ(1839年~1906年)

モネやルノワールと同世代の画家。初めは印象派グループと活動していましたが後に離れ、ポスト印象派として独自の様式を確立しました。

 その一つは、パレットナイフで絵具を盛り上げるように描くクイヤルド技法です。

 もう一つは、さまざまな視点から見た対象を一つの画面に再構成する描き方で、ピカソのキュビスムなど、近代絵画に大きな影響を与えました。
しかし、当時は新しすぎたために評価は遅れ、サロンに入選できたのは一回のみでした。

 セザンヌは、エッチング5点とリトグラフ3点の合計8点の版画しか残していません。
そのうち3点が今回の企画展で展示されているので、見られたことは幸運でした。

*作品紹介*
「水浴の男たち(大)」(1896年~1898年、カラー・リトグラフ)

 この作品より20年前の、初期の油彩画「休息する水浴の男たち」(1876年~1877年、バーンズ財団蔵)が元になっています。セザンヌが繰り返し取り上げた二つのモティーフである、サント=ヴィクトワール山と水浴者が統合されています。

ピエール・オーギュスト・ルノワール(1841年~1919年)

裕福な家庭出身の画家が多い印象派グループで唯一の労働者階級出身の画家です。
作品作りの姿勢が職人的であり、パトロンの希望に沿った作品を描きあげました。

 1862年に国立美術学校に入学する一方、シャルル・グレールの画塾に通い、モネ、シスレー、バジールと出会いました。
1869年にラ・グルヌイエール(パリの近くブージヴァル近郊セーヌ河畔にあった水浴場)でモネと共に印象主義の技法、筆触分割を生み出しました。
1874年、仲間と共に第一回印象派展を開催し、全8回のうち4回出品しました。

 晩年はリューマチに苦しむようになり、絵筆を手に縛りつけて描き続けました。

 ルノワールの版画作品は、銅版画25点、リトグラフ34点(そのうち4点はカラー・リトグラフ)です。
4点のカラー・リトグラフ作品のうち2点が、今回の企画展にて展示されていました。
また、貴重な生前の写真も展示されていました。

*作品紹介*
「田舎のダンス」(1890年、エッチング)

写真は、同じタイトルの油彩画です。

 リボンのたくさん付いたドレスと、つばの広い帽子を身に付けておしゃれをした若い女性と、帽子を被り髭を生やした紳士が踊っています。
紳士は、女性の腰よりやや上に手を回し、女性の顔に自分の顔を近づけています。
ルノワールの、
衣装や小物へのこだわりが見られます。

 

「帽子のピン留め」(1898年、カラー・リトグラフ)

―テーマは友情?―

 今回の企画展のメイン・ビジュアルに相応しい、優しさと愛らしさと二人の少女の友情が感じられる、あたたかい作品です。

 つばの広い帽子を被った少女がこちらへ顔を向けています。
こちらに背中を向けている、少し背の高い少女が、その女の子の帽子に赤い花をピンで留めているという、ほほえましい光景が描かれています。
こちらを向いている少女のモデルは、ルノワールの友人、ベルト・モリゾの娘、ジュリー・マネです。

≪コラム≫ 

ベルト・モリゾは印象派を代表する女性画家の一人です。
マネの弟ウジェーヌの妻でもあります。娘のジュリーは、13歳のときに父を、16歳で母を亡くしました。
ルノワールは、孤児となったジュリーの後見人となり、実の親のように面倒をみました。

 

メイ
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「ジュリー・マネあるいは猫を抱く子ども」(1887年、油彩・カンヴァス)や、「帽子のピン留め」からは、友人の娘に対するルノワールの愛情が伝わってくるようで、見ているほうも優しい気持ちになれるのではないでしょうか。

 

メアリー・カサット(1844年~1926年)

フランス印象派展に参加した、主要なアメリカ人女性画家です。
ドガと親しかったことが知られており、ドガの勧めで印象派展に4回出品しました。
日本の浮世絵からも影響を受けました。

 カサットは生涯で200点以上の版画作品を制作しました。
生涯独身でしたが、彼女の作品には、仲睦まじい母子の姿が数多く描かれています。

*作品紹介*
「マニキュア」(1908年頃、ドライポイント)

 母親が子ども(娘?)を膝に抱いて、自らの手にマニキュアを塗っている様子を描いています。
子どもの頬のふっくらとした感じや髪の質感が丁寧に描写されています。

版画の主な技法の紹介(「版画にみる印象派」展図録より抜粋)

アクアティント

エッチング技法の一つで、銅板の上に松脂の粉末を散布して多孔性の防触膜を作り腐蝕させる技法。腐蝕時間を変えることによりさまざまな濃淡を表現できます。

エッチング

腐蝕銅版画ともいい、銅板を腐蝕させて製版する技法のこと。銅板の表面にグラウンドと呼ばれる耐酸性の防触剤を塗り、先の尖った道具で防触剤を削って描き、硝酸液などの腐蝕液につけます。線の深さや筆圧と腐蝕時間の長短、腐蝕液の濃度などで表現できます。

ドライポイント

銅板を尖った刃物で直接彫る技法。アクセントをつけるために他の技法と組み合わせて用いられることが多いです。

リトグラフ

水と油が互いに反発する性質を利用する技法。版材の表面に固形の脂肪性描画材のリトクレヨンや解墨などで直接描き、科学的な処理により、油性の部分と保水性をもつ部分を作り出します。
この版の上に紙を載せ、プレス機で加圧すると版画のインクが紙に刷り取られます。

 板に描いた線が、直接紙に転写されるため、カンヴァスや紙に描いたような表現になります。

高崎市美術館利用案内

・開館時間:10:00~18:00

♣さいごに:「掲載の写真は、すべて無料使用可能のパブリック・ドメインのものです」

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