移築された書斎と窓からの景色に癒されて
◆電話番号: 027-373-7721
◆メールアドレス :tsuchiyakan@pref.gunma.lg.jp
◆開館時間: 9:30~17:00(観覧受付は16:30まで)
◆休館日: 火曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始(12月29日~1月3日)、
企画展前後の展示替期間、燻蒸などの臨時休館日のようです。
7月末の猛暑の中、群馬県立土屋文明記念文学館へ行ってきました。
ここは、歌人・土屋文明を顕彰して設立された、群馬県立の文学館です。
土屋文明について簡単に説明させていただきます。
土屋文明(1890年~1990年)は、群馬県出身の歌人で国文学者です。
伊藤左千夫から短歌の指導を受け、『アララギ』(短歌結社誌)に参加しました。
東京帝国大学に進み、小説や戯曲も書きました。
のちに『アララギ』選者となり、アララギ派の指導的存在となりました。
1988年に文化勲章を受賞しました。
また、『万葉集』の研究でも知られています。
この文学館は、高崎市の文明の生地近くに1996年7月に開館しました。
短歌を中心に、群馬県関連の文学資料の収集や、詩歌文学、近代文学の展示を行っています。
また、群馬県文学全集や紀要、企画展の図録などの出版も行っています。
文学館は、保渡田八幡塚古墳の北に隣接する、2階建てのベージュのコンクリート造りの建物です。
2階にカフェ「達乃珈琲堂」があり、外階段を昇って直接利用することもできます。
緑がいっぱいの広い敷地には、土屋文明歌碑、村上鬼城句碑、山村暮鳥詩碑があり、散策を楽しむことができます。
建物の入口を入って正面に受付があり、左手が企画展示室、右手が常設展示室です。
初めて訪問する人は、常設展示室の場所はわかりにくいかもしれません。
受付で、群馬県の博物館のスタンプラリーの台紙にスタンプを押してもらったあと、受付の女性が、汚れないように紙で丁寧に押さえてから渡してくれました。
去年もスタンプラリーに参加したのですが、このような対応ははじめてだったので、感動しました。
宮沢賢治_みんなのほんとうのさいわいをさがしに
私が訪問したときは、第112回企画展「宮沢賢治―みんなのほんとうのさいわいをさがしにー」(2021年7月10日~9月20日)を開催していました。
宮沢賢治の作品は好きで、子ども時代に『銀河鉄道の夜』や『注文の多い料理店』そのほかたくさんの作品を読み、学生時代には詩集を読み、子どもが生まれてからは読み聞かせをして、多少は知っているつもりでいました。
小学校1年生のときに読んだ『どんぐりと山猫』が最も印象的でした。
今回の企画展を見て、賢治が37歳で亡くなったことや、短い人生の間に、後世に残る素晴らしい作品をたくさん残してくれたことを知りました。
そうして、知っているつもりでまだまだ知らないことが多いことに気付きました。
企画展を見た後に、懐かしくなって、賢治作品の絵本を数冊購入したり、手持ちの賢治作品を読み返したりしました。
文学館の受付横のミュージアムショップスペースで、賢治作品の美しい絵本を購入することができます。
特定の人物や特定のジャンルを企画展で取り上げることは、私たちが生涯学ぶうえで、一定の効果があるのだと思いました。
2019年11月に訪問したときは、草野心平の詩集を購入しました。
群馬県立土屋文明記念文学館_常設展示室
土屋文明記念文学館の常設展示室について取り上げたいと思います。
文学館の展示室と聞くとみなさんは、文字資料が多くて、退屈とか疲れるイメージをお持ちかもしれません。
この文学館の常設展示室は、来館者を飽きさせない工夫がなされています。
群馬県に興味をお持ちの方がいらっしゃいましたら、自粛期間開けには、いらしていただく価値があると思います。
常設展示室では、次のような構成で土屋文明の作品と生涯についての展示が行われています。
第2章 「東京から長野へー短歌と小説と教職とー明治42(1909)年~昭和5(1930)年」
第3章 「歌壇の中枢にー写生、破調、『思想的抒情詩』-昭和5(1930)年~昭和20(1945)年」
第4章 「万葉集研究の継続―自らの足で感じるー」
第5章 「川戸への疎開―敗戦と第二芸術論に抗してー昭和20(1945)年~昭和26(1951)年」
第6章 「東京南青山での日々―歌壇の最長老にー昭和26(1951)年~平成2(1990)年」
第1章から第6章までの展示を見ながら、土屋文明の生涯をたどる構成になっていて、歴史系博物館の通史展示に似ています。
他の文学館と同様、掛軸や原稿、書籍、写真など、全体的に文字資料が多いという特徴をもっています。
また、1つの展示ケースの中に、土屋文明の愛用の登山靴と、その靴を着用している本人の写真が一緒に展示されていました。
見る人は、そのような展示方法によって、文明はハイキングが好きだったのかなとか、榛名山に登ったのかななどと、想像を膨らませることができます。
群馬県立土屋文明記念文学館_吉田のスケッチ
ここの常設展示室では、土屋文明の人生の節目節目を表現する、吉田漱によるシルクスクリーン(*注1)1点と、複製陶板8点を展示しています。
以前、この文学館には、来館者を飽きさせないいくつかの工夫点があると言いましたが、このスケッチがその1つになります。
文学館の展示に補助的に添えられているというよりも、スケッチが素晴らしいものなので、美術館的な楽しみが加わっているという感じなのです。
吉田漱は、歌人で美術史家です。
文明に短歌を学びました。東京美術学校(現在の東京芸術大学美術学部)で油彩画を学び、岡山大学で教鞭をとりながら、美術教育や美術史学、とりわけ明治の浮世絵、美術(小林清親や河鍋暁斎)の研究で大きな業績を残しました。
6点目の陶板『群馬原町駅前』は、縦15センチ、横30センチほどで、その他の陶板はすべて、縦20センチ、横30センチほどのサイズで、木のフレームに収まっています。
1点目以外はカラー作品です。
スケッチなので細部までは描かれていませんが、全体として、遠景の山の雄大さと民家や田畑の素朴な様子が表現されていて。
文明の心象風景を見ているような感じがします。
*注1:メッシュ状の版に孔(あな)を作り、孔の部分にだけインクを落として印刷する技法。
群馬県立土屋文明記念文学館 「方竹の庭」
常設展示室の外にある、「方竹の庭」について取り上げたいと思います。
この庭が、来館者を飽きさせない工夫の2つ目になります。
「方竹の庭」とは、文学館の開館にあわせて、南青山の土屋文明邸の庭にあった木100本のうち24種43本を植えかえ、配置も当時のものを参考にして再現したものです。
「方竹」とは、竹の1種である「シホウチク」のことです。
文明は植物が大変好きだったようで、木や花を詠んだ数多くの短歌が残っています。
私がとくに好きなのは次の短歌です。
「朝のひかり泰山木の葉にありて湧きあがるごとくにの音きこゆ」
我が家の庭にもタイサンボクの木があり、光沢のある大きな葉に朝日が反射する様を日ごろ見ていて、情景が鮮明に浮かんでくるからです。
また、植物を見つめる作者の優しさも伝わってくるようです。
「方竹の庭」の向こうに、保渡田古墳群の前方後円墳が見えることによって、平地にありながらも、雄大なロケーションを感じられるようになっています。
文明が1989(平成元)年に詠んで、短歌雑誌『アララギ』10月号に発表された、次のような短歌があります。
「かへり見る長き一世のなぐさめとなりはげましとなりし花の数々」
(振り返ってみる長い一生のなぐさめや励ましとなった。花の数々が。)
この短歌を目にするにつけても、文明がどれほど植物を愛したのかが伝わってくるようです。
文明のプロフィールを読むと、幼少期にとても苦労したようなので、木や花の優しさにどれほどなぐさめられたのだろうかと推察されます。
群馬県立土屋文明記念文学館_南青山の書斎
最後に、常設展示室内に移築されている、南青山の文明邸の書斎について書きたいと思います。
この移築書斎の展示が、来館者を飽きさせない工夫の3つ目になります。
この書斎には、引き戸が付いた本棚や、窓ガラス手前の、辞典類を広げるための棚、机と椅子、ソファとテーブル、マントルピースなどがあります。
机上には、書籍や蓋付きの湯呑、ラジオ、筆記用具、葉書、ミニ本立てが置かれています。
応接セットのテーブルの上には、ティーセット1つと、カステラの載った皿が置かれ、直前まで主がそこに存在していたかのような雰囲気の展示になっています。
私は、アトリエや書斎の展示を見るのが大好きです。
この書斎のようにリアルに再現展示されている場合が多く、個人宅に遊びに来ているような、親しみやすい感覚を味わうことができるからです。
展示されている資料を見て回った来館者が、ホッとできるような空間になっています。
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