フランク・ロイド・ライト  世界を結ぶ建築

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フランク・ロイド・ライト  世界を結ぶ建築

港区のパナソニック汐留美術館へ、開催中の企画展
「フランク・ロイド・ライト 世界を結ぶ建築」
を見に行ってきました。

 

 

 

どんな企画展?

「開館20周年記念展、帝国ホテル二代目本館100周年」と銘打って、アメリカ近代建築の巨匠、
フランク・ロイド・ライト(1867年~1959年)の建築家としての業績を、豊富な資料により紹介している回顧展です。

セクション1から7に分けて展示しています。

ドローイングや写真などの二次元資料だけでなく、模型や家具、実際に使用されていた建材、住宅の原寸モデルなどの三次元資料も展示することにより、鑑賞者によりわかりやすい展示が工夫されています。

特に目を引かれたのは、3Dプリントレプリカによる帝国ホテルの白い模型と、ユーソニアン住宅の原寸モデルです。

メイ
メイ

玄関から居間の空間を再現したものですが、杉の赤身材が使用されているため、温かみがあり、触れることはできませんでしたが、ライトの建築を体感した気分になりました。

基本情報

◇ 展覧会会期:
  2024年1月11日(木)~2024年3月10日(日)
会期中、一部展示替えします。
前期:1月11日(木)~2月13日(火)
後期:2月15日(木)~3月10日(日)
2月15日以降に再入場の場合は、半券ご提示で100円割引となります。

◇ 開館時間:
  午前10時~午後6時 入館は午後5時30分まで
2月2日(金)、3月1日(金)、8日(金)、9日(土)は夜間開館(午後8時まで)
入館は午後7時30分まで

◇ 休館日:
  水曜日  ただし3月6日は開館

◇ 入館料:

区  分 料  金
一 般 1,200円
65歳以上  1,100円
大学生・高校生 700円
中学生以下 無 料

障がい者手帳をご提示の方、および付添者1名まで無料でご入館いただけます。

◇ お問合せ:
  パナソニック汐留美術館
〒105-8301 東京都港区東新橋1-5-1 パナソニック東京汐留ビル4階
ハローダイヤル 050-5541-8600

◇ アクセス:

JR新橋駅銀座口を出て前方を見ると、「Panasonic」と表示されている、
ガラス張りの大きなビルが見えるので、すぐわかります。駅から徒歩5分ほどでした。

パナソニック汐留美術館とは

 2003年4月に現在のパナソニック東京汐留ビル4階に開館。
フランスの画家ジョルジュ・ルオー(1871年~1958年)の絵画や版画作品など約260点をコレクションし、世界で唯一その名を冠した「ルオー・ギャラリー」で常設展示しています。
「ルオーを中心とした美術」「建築・住まい」「工芸・デザイン」をテーマとした企画展を行っています。(美術館公式ホームページより一部抜粋) 

「フランス人がときめいた日本の美術館」には、

「パナソニックの事業と関わりの深いインテリアデザインに合わせて、建築、住まい、生活文化をテーマとする企画展を開催しています。こういうタイプの美術館は、日本ではここだけといっていいでしょう。」

と書かれているので、初めての企業の中の美術館、初めての建築やデザインに特化した美術館を訪問できるということで、ワクワク:ドキドキが7:3ぐらいの感じで行ってきました。

実際に行ってみると、スタッフの皆さんが親切で、社員の方と動線が分けられていたため、ドキドキの方は消えました。

「さすがパナソニック本社!」と思ったぐらい、明るく、素晴らしいビルでした。

美術館は4階にあり、要所要所にサイン表示があったため、 ‘’超方向音痴‘’ の私でも、迷わずにたどりつくことができました。

美術館の入り口前に無料のロッカーがあります。
展示室内は狭いため、上着や大きい荷物は預けた方が快適かつ安全に鑑賞できると思います。

チケットブースのガラス扉の外に警備員の方がいて、一人ずつ中に案内してくれる方式です。

私が訪問したときは予約不要でしたが、平日の早めの時間帯の方がスムーズに入館できるでしょう。

セクション1:モダン誕生 シカゴ―東京、浮世絵的世界観

展示室に入って、まず目を引かれたのは、「リトル第二邸『北の家』窓ガラス 1912年」でした。ステンドグラスのようなものですが、色は白と透明のみで、縦長のすっきりとした幾何学デザインで、美しい、と感じました。

ルイス・サリヴァンのもとで修業

ライトは、若い頃、シカゴ派の建築家、ルイス・サリヴァンの建築事務所で修業していました。
ライトは製図工として働きながら建築を学んでいきました。

師のルイス・サリヴァンは、シカゴ派の建築家です。

1871年10月8日にシカゴで大規模な火災、いわゆるシカゴ大火があり、4日間で800ヘクタール
が焼失し、甚大な被害が出ました。

この火災をきっかけに、火に強い鉄骨造りの高層建築が作られるようになり、このような建築をシカゴ派の建築といいます。

 日本の発見

1893年、ライトは26歳のとき、シカゴ万博を訪れました。

このときの日本館は、平等院鳳凰堂をモチーフとした、鳳凰が翼を広げたような、水平に
広がる建築でした。

このときが、ライトと日本建築との出会いとなり、のちのライトの建築に大きな影響を与えていきます。

ライトはこの年にルイス・サリヴァンの事務所から独立します。

セクション2:「輝ける眉」からの眺望

「輝ける眉」=the Shining Browとは、ライトの自邸兼仕事場である、タリアセンのことです。
丘の頂上の少し下、人間の顔でいえば眉の位置にあるので、このネーミングになったそうです。

プレイリースタイル(大草原様式)の建築

独立したライトが手掛けた建築様式がプレイリースタイルです。

プレイリースタイルには、次のような特徴があります。

  • ゆるい勾配屋根
  • 水平に伸びる軒
  • 間仕切り壁を少なくした、流れるような空間構成
  • 低くおさえた天井高

プレイリースタイルのおもな建築例は次のようなものです。

  1. ウィンズロー邸 1893年 独立後、最初の仕事です。
  2. ウィリッツ邸 1901年
  3. ダーウィン・マーティン邸 1905年
  4. ロビー邸 1908年 プレイリースタイルの代表作で、家具もライトのデザインによります。
  5. マイヤー・メイ邸 1909年  プレイリースタイルの傑作といわれています。

セクション3:進歩主義教育の環境をつくる

このセクションの展示で最も引きつけられたのは、クーンリー・プレイハウス幼稚園の窓ガラスです。

写真撮影不可だったので、ご紹介できないのが残念ですが、建物の性質上、カラフルで温かみのある配色、円形を目立たせて柔らかい印象にしたのでは? と思いました。

中央に、ラインを1本少なくしたアメリカ国旗が配置されています。

セクション4:交差する世界に建つ帝国ホテル

ライトは、1910年頃から、ウィスコンシン州スプリンググリーンに自邸兼仕事場タリアセンを建て、拠点としていました。

初めての作品集

ドイツで、ライトの初めての作品集「ヴァスムート・ポートフォリオ」が出版されました。
この作品集によってライトはヨーロッパで一躍有名になり、ル・コルビュジエら若い建築家たちに大きな影響を与えました。

 帝国ホテルの設計

ライトは、二代目帝国ホテルの設計を依頼され、1917年に来日し、ホテルは1923年に完成しました。

開業当日の9月1日に関東大震災が発生し、東京や神奈川を中心に火災や建物の倒壊、土砂災害などで10万人超が犠牲になりましたが、帝国ホテルは無事でした。
ライトが特殊構造を採用したためといわれています。

帝国ホテルの建物全体は、鳳凰が大きく翼を広げたような形をしています。
プレイリースタイルの完成形だといえるでしょう。

メイ
メイ

私は、ライトがシカゴ万博の日本館から大きな影響を受けたということを知ってから、二代目帝国ホテルが平等院鳳凰堂そっくりに見えるようになりました。

この美しい建物は、1967年に取り壊され、エントランス部分を含む一部が、愛知県犬山市の博物館明治村に移設・保存されています。

*写真は、博物館明治村の公式ホームページのものです。

 

 

 

セクション5:ミクロ/マクロのダイナミックな振幅

1930年代後半以降、ライトはウィスコンシン州スプリンググリーンと、アリゾナ州スコッツデールの2カ所を拠点にしていました。
ライトの建築中、8つが世界遺産になっており、その中でも特に有名な建築が、カウフマン邸(落水荘)とグッゲンハイム美術館の2つです。

落水荘は、1936年の作品で、ライトが提唱した、有機的建築の代表的な
建築例といえるでしょう。

有機的建築とは、次のような特徴をもった建物をいいます。

  • 垂直水平な建物
  • 自然と一体化している
  • 内と外が一体に感じられるデザイン

落水荘のクライアントは、滝が見える家を注文したようなのですが、完成した作品を見ると、建物が滝の上にあり、一体化していて、まるで建物から滝が流れているように見えます。

グッゲンハイム美術館と聞くと、スペインのグッゲンハイムビルバオが頭に浮かびます。

しかし、同じグッゲンハイム財団の美術館ですが、ビルバオは1997年の開館で、フランク・ゲーリーが設計を担当しました。

ライトが設計した、ニューヨークのグッゲンハイム美術館は、それより約40年前の1959年開館で、ライトの遺作になります。
この美術館の完成前に91歳で亡くなりました。

この建物の特徴としては、

  • 螺旋状の建築
  • 内部の中央部分が最上階まで吹き抜けになっている
  • 大きなトップライト
  • 周囲が吹き抜けを取り巻くスロープ状になっており、斜めの床で作品を鑑賞する方式になっている
    などが挙げられます。

建物内部の、下から見上げたトップライトは、放射状で、花のようなデザインになっており、大変美しいです。ヨーロッパの、教会建築のデザインに似ていると思いました。

 

 

 

 

 

 

セクション6:上昇する建築と環境の向上

ジョンソン・ワックス・ビル

1936年の作品。

カビキラーやスクラビングバブルなどの住宅用洗剤で有名な会社の本社ビルで、アメリカのウィスコンシン州にあります。

建物の内部はとてもユニークなデザインで、蓮の葉をイメージした白い柱がフロアに林立しています。白い森の中に迷い込んだかのよう。

柱は、下は細く、上へいくほど太くなっています。

社内の机や椅子もライトの設計で、浮かんでいるような、ユニークなデザインです。

メイ
メイ

このようなオフィスで働ける方々が、なんとも羨ましいです。

セクション7:多様な文化との邂逅かいこう

ここでは、「ライトへ注がれた同時代の目」、「ライトとイタリア」、「世界に向けたライトの目」などと、ライトとさまざまな人々との交流について触れています。

その中で、フィンランドを代表する建築家でデザイナーのアルヴァ・アアルト(1898年~1976年)との交流についても触れられています。

私は、アアルトがデザインした、ベル型の照明が大好きで、去年、アアルトのドキュメンタ
リー映画を見に行きました。

「かもめ食堂」という映画にベル型の照明がたくさん出てきます。

アアルトからライトへの手紙には、息子をタリアセンで学ばせてもらえないかというお願いが書かれており、アアルトが自分より31歳年上の偉大な先輩を尊敬し、信頼していた様子を窺い知ることができます。

ル・コルビュジエとの交流については、今回の展示では触れられていませんでした。

アアルトは、近代建築国際会議(CIAM)でル・コルビュジエと出会い、多大な影響を受けたようです。

ライトとル・コルビュジエは、距離をおいていたか、接点がなかったのかなという印象を受けました。
*写真は、映画「アアルト」のパンフレットに掲載されていたベル型の照明です。

ちょっと寄り道 ヨドコウ迎賓館(旧山邑家住宅)

ここで、日本にある、フランク・ロイド・ライトが設計した美しい建物の一つである、ヨドコウ迎賓館をご紹介します。

ヨドコウ迎賓館は兵庫県芦屋市にあります。

「櫻正宗」という銘柄の日本酒を作っていた、山邑酒造(株)(現在の櫻正宗(株))の8代目当主、山邑太左衛門の別邸として建設されました。

現在は、(株)淀川製鋼所の所有になっていて、ヨドコウ迎賓館として一般公開されています。
なお、重要文化財に指定されています。

2022年3月まで放送されていた、NHK連続テレビ小説「カムカムエブリバディ」の撮影にも建物の外観が使用されました。

*写真はすべて、ヨドコウ迎賓館の絵葉書のものです。

建物の全景。断崖絶壁の上に建っているため、遠くからでも見ることができます。

周囲を木々に囲まれていて、自然と一体化しているかのように見えます。

 

 

アプローチ部分。「カムカムエブリバディ」では、この部分が数秒映っただけですが、特徴的なデザインのため、ヨドコウ迎賓館だとすぐにわかりました。

1階のポーチも見えます。

 

 

2階応接室のバルコニー。建物の内と外がつながるような設計です。

 

 

 

 

2階応接室。上部に、連続する小窓が設けられています。

 

 

 

 

3階和室。
この建物で私が一番好きな ‘’かわいいデザイン‘’ 。

四葉のクローバーをモチーフに、パターン化された装飾が見えます。これと同じ装飾は、家じゅうのいろいろなところ、浴室やトイレ、洗面所にもあります。
自然モチーフのデザインをパターン化して取り入れているところが、日本の琳派に似ていると思ったのですが、ライトの師である、ルイス・サリヴァンからの影響だそうです。

3階西側廊下。間仕切り壁を少なくし、流れるような空間構成になっています。

 

 

 

 

4階食堂。
天井の装飾が印象的。

この部屋の外にバルコニーがあります。
バルコニーは2段になっていて、下側のバルコニーからは360度見渡せます。

六甲山、遠くに海、紀伊半島も眺められて、素晴らしい眺望です。

 

終わりに

展示の最後に、タリアセン・ウェストで撮影された、ライトの写真がありました。
亡くなる5年前の、86歳のときの写真です。

アリゾナ州の山を背景に、つば広の帽子をかぶり、コートを着てステッキを持ったライトの姿が写っています。

季節は冬でしょうか。
とてもステキな写真だと思いました。

近代建築三大巨匠の一人に挙げられる建築家でも、91年の生涯の間には、つらい出来事も
あったでしょうし、低迷の時期もあったことと思います。

しかし、それを乗り越えて、69歳のときに落水荘、91歳でグッゲンハイム美術館と、約70歳からの20年間で代表作を作り出したところにバイタリティーを感じます。

ライトの生涯について知りたい方は、
「世界現代住宅全集 フランク・ロイド・ライト タリアセン、タリアセンウェスト」をお読みください。

日本との関わり

ライトは、日本の建築や美術を愛したことでも知られています。

ライトと日本文化との最初の出会いは、1893年のシカゴ万博で日本館を見たときだと思われます。

日本館は平等院鳳凰堂がモデルになっており、この出会いをきっかけとして、ライトは生涯にわたって日本美術や日本の建築に向き合いました。

また、浮世絵コレクターとしても知られており、数百点の広重作品を日本からシカゴへ持ち帰り、1906年3月にシカゴ美術館で「広重 フランク・ロイド・ライト所蔵多色版画展」を開催しました。

1908年3月にはシカゴ美術館でさらに大規模な浮世絵展を開催し、自ら会場の設計を行いました。

設計に際しては、浮世絵を的確に見せることに注力して空間全体を設計したそうです。

また、設計した家の施主に対しても、家の壁に浮世絵を飾るようにすすめていたそうです。
(企画展公式図録「フランク・ロイド・ライト―世界を結ぶ建築」ケン・タダシ・オオシマ氏による)

今では美術館で当たり前の、空間芸術やインスタレーションという考え方は、ライトの時代にはまだ珍しかったと思われます。

もしかすると、ライトの、アート作品を展示する空間全体を設計するという考え方が、アメリカの美術館に採用されていったのかもしれません。

そして、日本の美術館は欧米の美術館に学んでいるところが大きいので、日本の美術館
に取り入れられていったのかもしれません。

*使用した写真は、とくに記載のないものは無料使用可能の写真素材のものです。

ミュージアム・ショップのご紹介


展示室を出るとミュージアム・ショップがあります。

こちらの美術館の性質上、他の美術館のミュージアム・ショップにあるような、ファンシーなグッズ類はなく、書籍類が充実しています。

フランク・ロイド・ライトの建築のカラー写真が豊富な、美しい書籍もありました。

お菓子類は、スノーボール・クッキー1種類のみ取り扱っていて、箱に、雪化粧の二代目帝国ホテルの浮世絵風の絵がプリントされています。

参考文献

  • 「フランク・ロイド・ライト―世界を結ぶ建築」展覧会公式図録
  • 映画「アアルト」パンフレット
  • 世界現代住宅全集「フランク・ロイド・ライト タリアセン タリアセン・ウェスト」
  • 「フランス人がときめいた日本の美術館」ソフィー・リチャード著、山本やよい訳 集英社インターナショナル 2016年

 

 

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